中沢新一『今日のミトロジー』
何げない日常の中に、数々の「神話」が潜んでいる。
思想家・中沢新一の新著『今日のミトロジー』はとても刺激的な一冊だった。「ミトロジー」とは、ロラン・バルトの言によれば「現代社会の神話」という意味あいらしい。だが中沢はバルトの「ミトロジー」に依拠しつつも、自身の考えるそれは〈根本的な違いがある〉と書く。少々長くなるが、中沢の序文から引く。
〈(バルトの)言語学の時代の夜明けに書かれた『ミトロジー』は、ミトロジーがなによりも言語現象であることに焦点を合わせている。ミトロジーは通常の言語表現の上に構築されるメタ言語であり、それをつうじて象徴的含意であるコノテーションを伝達する。このような視点に立って、バルトはその時代の日常生活に浸透しているさまざまなミトロジーを考察したのである。
これに対して『今日のミトロジー』は、人新世の前期に書かれた本として、人間の心のなかの言語(ラング)よりもさらに深い場所にセットされている、未知の構造に焦点を合わせている。『カイエ・ソバージュ』や『レンマ学』などの著作で明らかにしてきたように、この未知の構造はミトロジーというものが語られ始めた上部旧石器時代から人類の脳にはじめて形成され、それ以降も基本的な設計を変えることなく、現在も使用され続けている。
ミトロジーはこの未知の構造から直接的に生み出されてくる思考である。それはおもに言語を媒体にして、現実生活の現場に表現されてくるものだから、一見するとミトロジーはまるごと言語現象であるかのように見えるが、じっさいには言語(ラング)すら包摂する未知の構造から生み出されているのである。〉
日常生活に浸透しているミトロジーを探るには、その取っ掛かりとなる現象や言葉を見つければいい。それ自体はそれほど難しくはない。巷で話題になっているさまざまなトピックのなかにミトロジーが隠れているからだ。だからここで取り上げられるものは、例えば『シン・ウルトラマン』『進撃の巨人』『孤独のグルメ』『日本百低山』、あるいは「キラキラネーム」「オタマトーン」など、メディアで話題となったトピックが多い。
しかしそこから「ミトロジー」を発掘していく中沢の手腕は、鮮やかとしかいいようがない。例えば「BTS」。そこには「花郎(ファラン)」という〈古代朝鮮の戦士的男子結社をめぐる民族的な記憶がひそんでいる〉と中沢は喝破する。そのうえでBTSの強さを〈原始性との近さ〉とする。BTSは〈騎馬民族的原始性をいまだに体内に保存している〉。だからこそ〈アフリカ的原始性の保存装置であるヒップホップに、難なく結びついていくことができたのだ〉。それがジャニーズとの決定的な違い。〈現代の大衆文化では、原始性との近さが成功の鍵を握る〉。ジャニーズはそこから〈遠く離れてしまった〉のである。なるほど、納得しかない。