(2023/02/26)久しぶりにサイトをリニューアルしました。 (2023/03/01)村上春樹の新作タイトルが発表されましたね。
BOOKREVIEW

村上春樹『一人称単数』

小説には、ひとりの人間に「複眼」を持たせることが可能なのだ

 村上春樹の新作長篇が4月13日に刊行される。高校生の時に好きになって以来、四十年あまり。その作家がいまだに現役で、第一線で活躍し、新作を発表し続けている。それだけで、僕の人生はずいぶんと豊かで、幸せだったなと、つくづく実感する。

 新作発表のニュースの陰に隠れてしまった感があるが、現段階での最新作である『一人称単数』が、先日文庫になった。こちらは八編を収めた短編小説集。「石のまくらに」「クリーム」「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」「『ヤクルト・スワローズ詩集』」「謝肉祭(Carnaval)」「品川猿の告白」(以上、「文學界」に随時発表)。そして書き下ろしの「一人称単数」。

 白状すれば、初読の時、僕はこの短編集のテーマのようなものがイマイチ、ピンとこなかった。タイトルの「一人称単数」とは、「僕」「私」「俺」といった人称のことである。「僕」「ぼく」といった一人称単数を使った小説というのは、そのまま「村上春樹」という作家を象徴するものでもある(初期三部作は、「僕」シリーズなどと称されることもある)。

 その後、短編集『神の子どもたちはみな踊る』以降は、三人称を使うようになるわけだが、その意味ではこの『一人称単数』は、原点に返った作品集ということもいえる(そういえば、もう一度一人称で小説を書きたい、というようなことをどこかで言っていた)。

 そう考えると、この『一人称単数』が、1960年代後期の物語「石のまくらに」や「クリーム」から始まるのも頷ける気がする。最後の書下ろし「一人称単数」で、ようやく時制が「現在」となる理由も。

 ざっくりと言えば、この作品集は、人間の一生を、時系列に沿って振り返ったものといえる。ただし、主人公は同一人物というわけではない。一人称で語られる、複数の人々の物語である。物語の数だけ、異なった「視座」がある。しかしそれを「一人称」で、ひとつにまとめて俯瞰してみると、じつに複雑な、一人の人間の人生が浮かびあがる。「複眼」によって構成された人生、とでもいおうか。

 当然だが、人間はひとり分の視座しか持ちえない。しかし小説には、それができる。ひとりの人間に、複眼を持たせることが可能なのだ。その意味では、この短編集はずいぶんとチャレンジングな作品群だといえる。一人称小説の限界は、主人公が見たものしか書けない、という点にあるが、その制約を超えていける可能性があるからだ。四月に刊行される最新作に、この挑戦がいかに反映されるのか。発売が今から待ち遠しい。

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